近代日本の文豪たちの住まい跡などを巡る。昔から文化の香る街だった麻布界隈。

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島崎藤村

明治から昭和にかけて活躍した小説家で「破戒」や「夜明け前」といった小説や「千曲川のスケッチ」で有名な島崎藤村。

生まれは長野ですし題材も木曽や小諸といった場所なのでそういう人かと思っていたら、飯倉(麻布台)に十数年住み、代表作の「夜明け前」もここで執筆したのだそうです。

▲今はその住居があった辺りにマンションが建ち、石碑が立っています。

▲場所はここ。鼬坂(いたちざか)の下。

振り返ると植木坂なので、植木坂の下とも言える場所です。

六本木の交差点から飯倉の交差点を目指し、キャンティの一つ先の角を右に入って坂道を下ればこの場所です。


明治の作家というイメージがある島崎藤村ですが実は終戦直前まで生きていて、私たちのおじいちゃん世代だと実際にお会いした人もいるくらいです。その人の感想は ”見るからに奇人” だったそうですが。


志賀直哉

明治後期から昭和にかけての小説家、志賀直哉が住んだ実家の跡が六本木にあります。

ここには15歳から29歳まで住んでいたそうですから、学生時代を経て独立するまで住んでいたということです。

生涯で23回引っ越しをした志賀直哉ですが、終の棲家だった渋谷の住まいについで長く住んだのが六本木三河台の実家だったようです。

▲マーサーブランチのある「麻布警察署前」の信号からアメリカ大使館職員宿舎へ向かう途中にある三河台の実家は戦災で焼けてしまったそうで、今はこうして標識だけが立っています。

谷口吉生が設計したという渋谷の住居はその後息子さんが住まわれていたようですが、今はどうなっているのでしょうか。

それにしても、日本中に ”志賀直哉 旧宅跡” があと21ヶ所もあるわけですね、ある意味それも凄いです。


永井荷風

大正時代から昭和にかけての小説家、永井荷風は1919年から1945年の3月10日まで、麻布市兵衛町(六本木一丁目)に「偏奇館(へんきかん)」という住居を建て一人で住んでいました。なにせ変人なので。

偏奇館という変わった名前はペンキ塗りの洋館をもじって名付けられたそうです。急激に進む日本の近代化に違和感を抱く荷風の美意識からすれば、ペンキ塗りの洋館は醜く感じたのでしょう。

その住居跡として石碑が建てられています。

▲場所は泉ガーデンの裏。つまり住友家の屋敷とお隣さんだったか、すぐご近所さんだったのですね。

向かいは泉ガーデンギャラリー。六本木一丁目の駅からも近く、泉屋博古館を見てHARIOカフェで休んで最後に永井荷風を偲んで帰るみたいなコースが良いかもしれません。

それにしても近代化する日本人の自我を描いた島崎藤村や志賀直哉が今では教科書以外で読まれることも少なくなったのに、近代化自体に違和感を感じ江戸から続く美意識を大切にし、その視点からの作品を残した荷風が未だに新しいファンを獲得し続けているのはなんとも皮肉です。

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斎藤茂吉・北杜夫

アララギ派の歌人、斎藤茂吉と、息子で小説家の北杜夫(きた・もりお)や斎藤茂太が住んでいたのが南青山の「青山脳病院」。

斎藤茂吉は婿養子に入った青山脳病院で院長を務めながら歌人としての活動を続け、息子の2人は子供時代をここで過ごしています。

▲青山脳病院があったのは戦前の話で、空襲で全焼しています。

みゆき通りや美術館通りも近い裏路地です。昔は今のみゆき通りを ”脳病院通り” と呼ぶ人もいたらしいです。

今その場所にはマンションが建ち、片隅に斎藤茂吉の歌碑が建てられています。

また、斎藤茂吉と脳病院にまつわる物語は、多少脚色はあるみたいですが北杜夫の代表作「楡家の人びと」に詳しいです。



龍土軒

かつて麻布龍土町にあったレストラン「龍土軒(りゅうどけん)」。

日本最古の西洋料理店をルーツに持つそうで、永井荷風、柳田国男、国木田独歩、田山花袋、小山内薫などが行きつけにする文壇レストランだったようです。

1960年代の六本木キャンティみたいな場所でしょうか。

▲今は西麻布に移転し営業しています。

場所はマルシェ六本木西麻布のある通りです。

誇らしげな ”SINCE 1900”。1900年に英国大使館裏でオープンし、そのすぐ後に龍土町に移転。そして1969年からは西麻布です。今のビルは10年くらい前に建て替えたもの。

古き良きフレンチレストランです。

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少年探偵団

小林少年を団長とする「少年探偵団」の事務所も龍土町、この近くにあるはずです。

名探偵、明智小五郎が怪人二十面相と対峙する江戸川乱歩の冒険活劇ですね。


杉田玄白

江戸時代の蘭学医で、「ターヘル・アナトミア」を和訳し「解体新書」として刊行したことで知られる杉田玄白。

「解体新書」だけでなく、自身の回想録でもある「蘭学事始(らんがくことはじめ)」も知られています。

その杉田玄白のお墓は虎ノ門の「栄閑院(えいかんいん)」にあります。

▲お寺の門前には「杉田玄白墓」という石碑が建っているのですぐ分かります。

この写真で左方向が虎ノ門ヒルズ、右方向が神谷町です。

境内では玄白のお墓の場所が丁寧に案内されているので迷うことはありません。

▲実はこの栄閑院は「猿寺」として有名です。江戸時代の猿まわしの泥棒の逸話から、猿たちが遊び回っているかのような象が建てられたそうです。

本堂前の石柱の上、本堂の屋根の上など、全部で6匹の猿がいるので探してみてください。


小林多喜二

100年くらい前に発生し、非正規雇用や貧困層の拡大で最近またちょっと再注目されている ”プロレタリア文学”。日本での代表的な小説家が小林多喜二です。

上京してから拷問死するまでの数年間、麻布界隈を転々と移り住んでいたそうなのですが、詳しい場所は分かりません。


力道山

最後はあまり文学とは関係ないですが「赤坂リキマンション」。

プロレスラー力道山が文字通り裸一貫から稼いだお金で建設した高級マンション「赤坂リキマンション」。

▲「びっくり屋 赤坂店」の近くです。築60年くらいのビンテージマンションですが今も健在です。

いろんな意味で日本の戦後の社会史に欠かせない力道山の遺産がまだこのように残っているのは意外でした。


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