麻布台ヒルズに移転する「外務省外交史料館」。教科書にも出てくる貴重な史料がいっぱいで見学無料!

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外務省飯倉公館

外苑東通りの飯倉と飯倉片町の間に建つ麻布台の「外務省 飯倉公館」。外務省主催の各種イベントや会議の場として使われる施設です。

大抵はなにか地味な会議やレセプションをやっているようですが、たまにアメリカの要人が出席するような会議があると、外苑東通りを挟んで向かい側にCNNなど海外メディアのTVクルーが陣取ってカメラを向けていたり、時にはレポーターが中継していたりします。

ただ飯倉公館へはセキュリティの問題もあるので招待でもされなければ入構することはできません。
また一般向け見学会のようなものも開催されることはないみたいです。

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外務省外交史料館

その飯倉公館の左右には「外務省外交史料館」という、幕末以来の国の外交文書を保存している公文書館がありました。

▲この飯倉外交史料館は一般にも開放されているのです。

この写真には ”土曜日休館” のように書かれていますが、実は元号が令和になってからだいたい隔週ですが土曜日も開館するようになったのです。
(パンデミック中から土曜日の開館は休止中です)

なお、この外交史料館で重要な史料を展示していた別館展示室麻布台ヒルズ森JPタワーの5階に移転していて、2024年4月8日(月)から再開予定です

▲飯倉公館もこちらの外交史料館も昭和期の建築家 吉田五十八 の手によるもの。和を感じさせるデザインですね。

以前は平日の昼間しか公開していなくて、近所に20年以上も住んでいるのにこれまで入ったのは数えるほどしかありませんでした。

土曜日の開館日はこちらの外交史料館のホームページで確認してください。

一般展示を見学するのは予約不要。こちらの資料館本館にブラっと入って受付で名前を記帳すればOKです。

もちろん駐車場はありませんから、神谷町か六本木あるいは六本木一丁目の駅から歩くことになります。
自転車でも大丈夫です。上の写真の玄関右手に停められます。

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麻布台ヒルズの外交史料館 展示室

これまで飯倉公館の敷地内にあった別館(展示室)は2023年9月末でいったん閉室となり、すぐ隣に完成した麻布台ヒルズ5階に移転しました。

▲麻布台ヒルズ森JPタワー5階の外務省外交史料館展示室の入り口です。

麻布台ヒルズが開業した11月24日の時点ではまだ内装工事中でしたが展示ケースの移設、設置などは完了していましたから2023年内あるいは年明け早々にも再開されるのではないでしょうか。

▲場所は森JPタワーの5階。

慶應義塾大学の予防医療センターと同じフロアになります。

▲森JPタワーの5階へ上がるには、タワープラザ(TOWER PLAZA)南側のエスカレーター、またはエレベーターPを使います。

商業エリアのエスカレーターやエレベーターからはたどり着けません。

この新しい史料館がオープンしたら今までの外交史料館本館との役割分担や展示内容など含め改めて紹介します。

次に以前の飯倉公館敷地内に併設されていた頃の外交史料館の様子を紹介します。

外交史料館本館

本館の方は研究者などが史料を閲覧するための「閲覧室」と「展示室」です。
ただし閲覧室の方は土曜日だけ事前予約が必要です(平日は予約不要)

▲本館の「展示室」です。
えっと。。これだけです。

ただ展示スペースのガラスケースの向かいには、杉原千畝の顕彰プレートと関連史料の展示スペースが設けられています。

▲展示ケースの中の史料はもちろん原本ではありませんが、かなり貴重な史料が選び抜かれて展示されています。
これは日米和親条約。ペリー来航後の条約ですね。

▲パスポートの変遷。

幕末に発行されたパスポートには当然ながら顔写真はなく、その代わりに ”背は高い”、”目は小さい” とか身体的特徴が書かれています。それでいいんだ。

杉原千畝関連史料

2000年に生誕100年を迎え、外務省からも正式に謝罪と名誉回復された杉原千畝氏の関連史料もかなり揃っています。

▲このようなヴィザ・リストや本国への報告公電などが展示されています。

▲これは実際にサインが書かれたヴィザ(の写真)。

日本を経由して英国へ向かうことができる通過ビザのようです。
発行地はもちろんリトアニアのカウナス。

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飯倉公館と外交史料館別館

本館の展示はじっくり見学しても15分くらいでしょうか。

本館を見終わったら、本館の係員の方いわく ”こっちの10倍は展示がありますからね!” という別館の方に向かいましょう。

▲歴史資料館を出たら飯倉片町の方へ歩きます。といっても敷地は同じですが、敷地内を通って移動はできません。

いったん外苑東通りに出て、飯倉公館の正門前を通って本館とは反対側へ。

ちなみに、このように公道から飯倉公館を撮影するのはOKです。
ただ外交史料館の敷地内から飯倉公館を撮影するのはNGだそうです。まぁセキュリティを考えたら当然ですね。

▲こちらは飯倉公館の通用門兼外交史料館別館の入り口。

▲2020年の2月から5月末まで「批准書の世界」という企画展示を行っています。
また休館日が 土・日曜日・祝日・年末年始 と書かれていますが前にも書いたように、令和になってからは臨時開館として土曜日も開館する日があります。

▲門扉はしまっていますが出入り口のドアは施錠されていません。
ここを開けて中に入ります。

向こうに東京タワーがいい感じに見えています。

また以前までは隣に麻布郵便局の渋い建物があったのですが、麻布台の再開発(麻布台ヒルズ)により取り壊されてしまいました。飯倉公館、麻布郵便局、ロシア大使館からノアビルと続いて良い雰囲気だったんですよねぇ。

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外交史料館別館の内部。

敷地内に入って左側の建物が外交史料館別館になります。
本館や飯倉公館と同じく吉田五十八による設計です。

▲外交史料館別館の文字の下に小さく「吉田茂 記念資料特別展示場」と書かれています。

こちらの別館には吉田茂元首相の遺品や関連資料が収蔵、展示されているのです。
もともと吉田茂の関連財団からの寄付で建てられたもののようです。

▲なのでロビーに入るとこうです。いきなりの吉田茂。
間違えて帰ってしまう人もいそうなので案内しておくと、展示室へはこのロビー左手の階段から2階へ上がってください。

▲ちなみにこれは大磯の旧吉田茂邸の内部。オリジナルは火事で消失していますのでその復元になります。
設計は吉田五十八。外交史料館の設計者と同じです。なんとなーく雰囲気が似ていますよね。

▲さらににこれは御殿場東山の岸信介邸。
これも設計は吉田五十八です。

▲これが別館2階の「展示室」の様子です。
現在は移転のため閉室となっていて展示室内へは入れません・

壁面3面をぐるっとしている部分が常設展示、真ん中のケースが企画展示です。

ちなみに訪問したのは過去20年でも2回(+本館だけが1回)しかないのでサンプルとしては少ないですが、他の見学者を見かけたことはありません

この日は土曜日の訪問でしたが休日出勤のはずなのにスタッフの方がとっても親切で嬉しそうにしていたのが印象的です。

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外交史料館別館の展示物

正直、歴史に興味がなくても楽しめます。
中学校の歴史の授業で学んだような史料の実物がばんばん展示されています。

これ、たぶん本気で展示されたら1日中見ても終わらないかもしれません。

▲これは日米修好通商条約。和親条約に続く貿易条約ですね。

で、これを結んだことでタウンゼント・ハリスは麻布十番の善福寺にアメリカ公使館を設置するわけです。

▲これは日露和親条約。
いわば今に続く北方領土問題の原点を含む条約です。

▲日清戦争後のいわゆる「三国干渉」の結果締結した条約。この辺りでロシアこの野郎めと感じ始めたのでしょうか。

▲鹿鳴館時代の史料。
天長節(天皇誕生日。明治天皇なので11月3日)のパーティーのメニューとかダンスバンドのセットリストなど。

注目は ”女性がダンスの相手を記したメモ帳”  というもの。
お互いの携帯電話の番号を交換しましたとかそういう用途ではなく、絶対これは外交上の情報戦の用途ですね。中を読んでみたいものです。

たぶん、”A国の一等書記官は借金がある” とか ”B国の横浜領事は酔うとお喋りになる” といった極秘情報が書かれているんじゃないでしょうか。

▲これは1967年に当時の佐藤首相が訪米しジョンソン大統領と会談した際の記録です。こうやって会談の内容を記録しておくんですね。

でも、ジョンソン大統領の発言は通訳を介した後の日本語で記録されているんですね。英語のままのメモとかなくて大丈夫なんでしょうか。後で齟齬とか起きないんでしょうか。

▲日英同盟。

近代日本がブイブイいわせ始めた時期ですね。

▲日露戦争後に当時の帝政ロシアと交わした講和条約。プーチンがこれを思い出してプンプンしていそうですが。

またこの戦争によって乃木大将東郷元帥は神様になるんですね

▲これは日独伊三国同盟の条約。
この一段階前には日独防共協定なんていうのもありました。

そろそろきな臭い時代です。日英同盟の文書はなんか事務的な契約書という感じですが、この文書はやけに権威主義的な感じで、つまりそういう国同士によるそういう同盟なんですね。

▲で、結果としてこうなりました。

アメリカの戦艦ミズーリ上で当時の外務大臣 重光葵がサインしたあの文書ですね。

ミズーリはこうした歴史の目撃現場になったりエイリアンをやっつけたり。なかなか話題の多い戦艦です。

▲サンフランシスコ講話条約。

右の巻紙は吉田茂の演説原稿です。

ちなみにサンフランシスコ条約が結ばれた ”サンフランシスコのオペラハウス” というのは今は War Memorical and Performing Arts Center と呼ばれていていますが、その建物自体は今もサンフランシスコ市役所の裏手に建っています。

▲ サンフランシスコ講和条約と同時に署名された日米安保条約(旧安保)。

で、ここから続く70年は大きくはこの2つの条約による体制が続いているわけです。

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批准書の世界

訪問時に開催されていた企画展は「批准書の世界」。
条約が起案され交渉し署名して批准して発行となるという一連のプロセスを、実際の文書を例に説明してくれるなかなか勉強になる企画展でした。

今回はハワイ王国との条約を例に展示されていました。

▲明治天皇の御名御璽の左側に当時の右大臣三条実美の署名も見えます。

これが位階と姓氏(藤原朝臣)が書かれているのですが、もしかして今でも大臣になると位階と姓氏が与えられるんでしょうか?? 

1870年(明治3年)の批准書なのでハワイはハメハメハ王朝のまさに末期。かたや生まれ変わったばかりの日本。歴史が交差するところで交わされた条約ですね。

外交資料館50年とチャールズ3世(当時は皇太子)

この飯倉外交資料館が開設されたのが1971年。2021年で開設50周年ということで2021年からは「外交史料館50年」特別展示が行われていました。

▲1986年に訪日したイギリスのチャール皇太子(当時)とダイアナ妃。

当時、訪日を記念したアルバムが制作され、30年経った2017年に公開された、外交史料館で最も新しい史料の一つだそうです。

場所は赤坂迎賓館の前庭です。この後「和風別館 游心亭」で池の鯉に餌をやるんですよね。

▲これは大清国の国書。

1910年当時の清(今の中国)の皇帝から明治天皇に送られた正式な国書です。

この時の清の皇帝は溥儀(ふぎ)。あのベルトルッチの映画「ラスト・エンペラー」の主役です。

そしてこの国書の表紙は清の皇帝を象徴する龍の刺繍が施されているます。凄いですね。滅亡直前とはいえ腐っても大清国という感じです。

表紙を開くと2mくらいある紙に達筆で用件がびっしり書かれています。内容は「お宅に送った大使を解任するのでよろしく」。

そういう内容でも表紙が刺繍の立派な国書で送るんですね。こういう無駄に豪奢なところが滅びゆく大国ぽいです。

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外務省 外交史料館の場所

飯倉片町の交差点を飯倉方面へ向かって直ぐです。
キャンティ」とは道路を挟んで反対側くらい。

飯倉の交差点からなら片町方面へ。
麻布台ヒルズとはお隣同士です。

最寄り駅なら南北線の六本木一丁目駅。
そこから麻布通りを飯倉方面へ上り、片町で外苑東通りを左へ曲がればすぐです。DHCのビルの次の次。

平日はもちろん開館ですが土曜日もほぼ隔週で開館しています(土曜開館は休止中)。行く前にホームページで確認することをおすすめします。

歴史好き、史料好きな方はもちろん、そうでない人でも楽しめる穴場スポットです。

外務省 外交史料館

港区 麻布台 1-5-3
休館日:土、日、祝、年末年始。
ただし土曜日は隔週目安で臨時開館あり(現在休止中)。
開館時間:10:00 – 17:30

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