港区の坂道「南部坂」
麻布エリアは台地の端なので坂道が多く、港区=都心というイメージの人からは驚かれることがよくあります。あっちからこっちまでちょっと移動しようとすると坂の上り下りが結構あるんですよね。
麻布ガイドでも「麻布の坂道」シリーズとして多くの坂を紹介してきました。
今回紹介するのは「南部坂」。
歴史に詳しい人なら ”ははぁ江戸時代の南部藩(盛岡藩)に因む坂だな” と考えるでしょう。実際、盛岡藩の藩主南部氏に因む坂の命名です。
ところがこの ”南部坂” は港区内の南麻布と赤坂の2箇所にあるのです。
どちらも南部氏に因んでいるのですが、どうして2箇所もあるのか、どちらが最初に南部坂と言われるようになったかのレポートです。
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赤坂の南部坂
まずは赤坂の南部坂。
▲こっちの南部坂は今井町、つまり六本木二丁目から赤坂氷川神社の方へ続く坂道です。
三河台の三河台公園から溜池の方に六本木通りと並行する道があるのですが、その途中から分岐する形になります。
アメリカ大使館宿舎とアパホテルの間を抜け、麻布七福神の一つ「久國神社」の少し溜池側がこのような三叉路になっています。
しかも結構な急坂。
▲左手にはアメリカ大使館宿舎、右手にはマンションが立ち並んでいます。
昔は今井町と赤坂を結ぶ通路として行き交う人も多かったのでしょうが、今は近隣の人々だけのようです。
アメリカ大使館宿舎沿いに最期まで坂道が続くのではなく標柱の辺りで傾斜は終わりその先は平坦になっています。
▲上に見えるフェンスの中はアメリカ大使館宿舎の運動場。テニスコートや子ども用の遊び場がある辺りです。
▲標柱には ”江戸時代初期に南部家の屋敷があったため” と書かれています。
どうも坂の右手の方、今はマンションが建っているところから先日紹介した勝海舟の住居跡(坂本龍馬との師弟像がある方)辺りまでが南部藩の屋敷だったようです。
1662年に南麻布にあった赤穂浅野家の屋敷と場所を交代し南部藩の屋敷は南麻布に移転していったのですが、でも坂の名前はそのまま残ったようです。
1662年(明暦2年)だと赤穂浅野家は忠臣蔵で有名な浅野内匠頭長矩の祖父の時代で、”浅野” という名も別にタブーではなかったので浅野坂に変わってもおかしくないんですけどね。
ただ1701年(元禄14年)の例の事件もあり、入れ替わった浅野家の屋敷が今に残ることはありませんでした。屋敷も残らず、地名に ”浅野” が残ることもなく、赤穂浅野家の痕跡はすべて消されてしまったのですね。
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アメリカ大使館宿舎と赤坂氷川神社
南部坂をさらに登ってみます。
▲左はアメリカ大使館宿舎ですね。坂の先は四つ角になっていて、左へ行けば赤坂氷川神社。
真っすぐ行っても右へ曲がっても赤坂の街です。
写真には写せませんがこのすぐ右側はアメリカ大使館宿舎の ”ペリーゲート” です。
歌舞伎「忠臣蔵」の名場面
▲アメリカ大使館宿舎沿いに六本木方面へ向かうと赤坂氷川神社。
その赤坂氷川神社の境内に建つ「浅野土佐守邸跡」を示す掲示。
浅野土佐守というのはいわゆる ”三次浅野家”で浅野内匠頭長矩の正室もここの出身です。
”赤穂浅野家” も同じ浅野家に連なる系譜なので、浅野家一族をこの辺りにまとめたかったんでしょうかね。
また歌舞伎の忠臣蔵には「南部坂雪の別れ」という大石内蔵助が浅野内匠頭の正室・瑤泉院に別れを告げる場面があります。もし実際にそういう場面があったとしても氷川神社のここが舞台なので南部坂ではないですね。この場所を舞台するとしたら本氷川坂(もとひかわざか)の方が近いです。というか隣です。
「”もとひかわざか” 雪の別れ」という台詞では語感が良くないし情感もないので、分かっていてあえて ”南部坂” を舞台にしたのでしょうね。
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南麻布の南部坂
赤坂を後にして南部藩が移転したのが今の南麻布。有栖川宮記念公園のところです。
南部藩がここに移転してきたのが1662年と分かっていますから、この坂が南部坂と呼ばれるようになったのはその頃から。それ以前の坂の名称は分かりません。
右手は外国人向け高級スーパーの「ナショナル麻布」。左は「有栖川宮記念公園」通称有栖川公園です。
信号を右の方に進めば広尾橋の交差点や広尾駅に広尾の商店街、左の方に進めば木下坂を登って旧テレビ朝日通り。その先は六本木です。
”赤坂から移ってきた盛岡城主南部家の屋敷があった” と由来が記されています。
さらに ”忠臣蔵の南部坂は赤坂” とご丁寧に注意書きも書かれています。忠臣蔵の舞台はここかと勘違いする人がいるのでしょう。
でも本当は ”どちらも違う” のが正解のようです。
ナショナル麻布の先は住宅が何軒か並んでいます。まあ普通の坂道です。
南部坂教会
南部坂の中腹に建つのが「日本基督教団麻布南部坂教会」。
幼稚園も併設した小さな教会です。
▲この教会の建物ですが日本にアメリカンスタイルの西洋建築をもたらしたアメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるものなのです。
ヴォーリズが設計した建築というと南部坂を上った先の、元麻布にある「西町インターナショナル」の本部、松方ハウスも有名です。
軽井沢にはユニオンチャーチや睡鳩荘など多くのヴォーリズ建築が残っているのですが、都内では数少ないのでその意味でも貴重です。
この教会は1933年つまり昭和8年竣工。以来ヴォーリズ事務所が改修を手がけながら今も現役で教会として使われています。
▲教会の創立自体は1920年。もう100年以上もここ南部坂で活動を続けている教会です。
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南部坂のドイツ大使館
南部坂の上半分を占めるのが「ドイツ連邦共和国大使館」です。
▲ドイツ大使館とその壁画についても麻布ガイドで紹介しましたね。
▲赤坂の南部坂と違って道幅も広く交通量も多い坂です。麻布十番方面から広尾など外苑西通りへの抜け道なのでタクシーも多いです。
クルマでナショナル麻布を利用する際はこの坂を下って駐車場に入れます(広尾側から右折して駐車場に入れようとしても誘導員さんに制止されます)。
南部坂の坂上
南部坂はドイツ大使館が終わった辺りで終わり。
標柱の左側に見えているのはドイツ大使公邸の警備所です。
▲標柱も建っていますが書かれている内容は坂下のものと同じです。
1662年以前からの赤坂の南部坂、その後新しく名付けられた南麻布の南部坂。現代になると南麻布の南部坂の方が知名度も高いし実際に利用する人も多いのですが、どちらもアメリカやドイツという国の施設と隣接しているのがまた興味深いです。
南部坂(赤坂)の場所
近隣の人以外にとっては六本木一丁目駅や溜池から赤坂氷川神社へ参拝する際の近道として利用するのに便利でしょうか。
広大なアメリカ大使館宿舎を避けて赤坂側と今井町側を行き来するには正門側かペリーゲート側のどちらかしかありませんからね。
南部坂(南麻布)の場所
有栖川宮記念公園とドイツ大使館との間なので、有栖川公園へ遊びに来たりナショナル麻布でショッピングする時には必ず目にする坂です。
広尾の駅から徒歩1分で南部坂下の「有栖川公園前」交差点です。
麻布十番から元麻布を抜けて広尾へ抜けるという黄金の散歩コースの途中でもあるので、たまには有栖川公園の中を抜けず南部坂沿いのドイツ大使館の壁画をチェックしてみるのも良いと思います。
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