現在国立新美術館で開催されている「話しているのは誰?ー現代美術に潜む文学ー」についてレポートします。
まず、この展覧会は全面的に撮影可能です。
最近は公立私立問わず全面撮影可能な展覧会が増えてきましたね。
この事自体は喜ばしい事ですが、インスタ映えを狙ってか美術館に不慣れな方が増えて、平気で作品に触れながらポーズをとってみたり、ロッカーに預けずに大きなリュックを背負ったまま鑑賞してリュックが作品をなぎ倒しそうになったり、見ているこちらがヒヤヒヤするような事もままあります。
どんな場所でもどんな時でも撮影マナーには気をつけたいものですね。
さて、展覧会のレポートです。
参加する6名の作家は1950年代から1980年代生まれまでと幅広く、表現方法も映像や写真を用いたインスタレーションをはじめとして多岐にわたります。これら作家に共通するのは、作品のうちに文学の要素が色濃く反映されていることです。
▼会場に入って最初に現れるのは田村友一郎の作品です。
▼なにやら怪しげに黄色い光を放つ窓が
▼中には製作中の模型と人の気配が残る小部屋が
▼そして、黄色い小部屋の隣には窓があり、覗くとこんな風景が
この展覧会、のっけからすごい!
ちなみにこれらナンバープレートはアメリカのニューハンプシャー州のものです。
なので ”Live Free or Die” という標語が書かれています。これが言いたくてニューハンプシャー州を集めたのかも・・・
ともかく、観客とのあいだに特異なコミュニケーションをもたらすインスタレーションやパフォーマンスを展開する田村友一郎の世界観全開です。
▲こちらの部屋では、床にはオール。
▼上からは映像が。
▼そして、ファーストフード店のコーヒー
▼こちらはミルクを入れたあと
部屋の隅に別れて展示されれているので見逃さないよう注意してください。
次の展示室は沖縄出身のミヤギフトシの写真と映像の作品です。
ミヤギフトシは映像やテキストなどを用いて、セクシュアリティとマイノリティの問題を取り上げる作品を制作しています。
▼次の部屋の小林エリカの作品は、この展覧会のメインビジュアルになっている作品をはじめ、印象的な作品が並ぶ、暗く照度を落とした展示になっています。
小林エリカは、目に見えないもの、時間や歴史、家族や記憶をモチーフとして作品を手がけています。
メインビジュアルの写真作品
「わたしのトーチ」2019年
作品を観れば一目瞭然ですが、ウラン235とそこから人類が手に入れた新しい ”火” がテーマです。
次は豊嶋康子の作品です。平面作品が展示されていますが、部屋全体で1枚の絵画のような絵画によるインスタレーションです。
豊嶋康子は、既製品や美術に馴染みのある物質を素材に、これら事物の中に複数の見え方が表出する作品を制作しています。
最後の部屋は、北島敬三の写真作品です。
北島敬三は、2014年より日本各地を撮影した風景写真シリーズ「UNTITLED RECORDS」の制作を行っています。
冷戦末期の欧州の終焉を感じさせる東欧の人々の写真とソ連邦崩壊後のあまりにキッチュなロシアの人々が印象に残ります。
この5人以外にパフォーマンスなどによって沖縄における米軍基地や戦争の問題を掘り下げる山城知佳子の映像作品が出品されています。
展覧会鑑賞後、美術館を出ると以前にブログに投稿した吉岡徳仁のガラスの茶室ー光庵ーが夕方の光の中に佇んでいました。
話しているのは誰?ー現代美術に潜む文学ー
国立新美術館
2018.8/28-11/11 火曜休館(10月22日(火・祝)は開館、10月23日(水)は休館)
10:00−18:00(毎週金・土曜日は、8・9月は21:00まで、10・11月は20:00まで)