外務省飯倉公館と外交史料館
麻布台ヒルズの森JPタワーに「外務省 外交史料館展示室」が開室しました。
もともとは麻布台ヒルズ隣の「外務省外交史料館」という施設内にあった展示室ですが使い勝手が悪かったり、一般向けの施設なのに分かりにくかったりしたこともあって、多くの来場者が見込める麻布台ヒルズに移転したようです。
▲今の麻布台ヒルズ森JPタワーが建つ場所には麻布郵便局があり、その隣が外務省の「飯倉公館」と「外交史料室」の本館と別館でした。
写真のこれは「飯倉公館」。外務省主催の各種イベントや会議の場として使われる施設です。
大抵はなにか地味な会議やレセプションをやっているようですが、たまにアメリカの要人が出席するような会議があると、外苑東通りを挟んで向かい側にCNNなど海外メディアのTVクルーが陣取ってカメラを向けていたり、時にはレポーターが中継していたりします。
▲こちらが「外交史料館」は幕末以来の国の外交文書を保存している公文書館です。
展示室は麻布台ヒルズに移転していますが閲覧室というのもあり、外務省の記録を中心とした戦前・戦後の外交史料について、閲覧・複写が可能になっています。利用登録すれば誰でも利用可能ですが、本質的には研究者など向けのサービスです。
一般向けに重要な史料を展示する展示室が麻布台ヒルズ森JPタワーの5階に移転したわけです。
なお飯倉公館も外交史料館も昭和期の建築家 吉田五十八 の手によるもので、和を感じさせるデザインは建築的にも貴重なものです。
以前の外交史料館 展示室の様子についてはこちらの記事をどうぞ。
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麻布台ヒルズの外交史料館 展示室
これまで外交史料館の本館と別館にスペースが別れていた展示室ですが、今はすぐ隣の麻布台ヒルズ5階の一つのスペースにまとめられています。
▲麻布台ヒルズ森JPタワー5階の外務省外交史料館展示室の入り口です。
国民の貴重な記録(の複製)を閲覧し未来に役立てることが趣旨の施設ですから予約は不要、料金も不要、身分証明も不要です。
さらに嬉しいことに麻布台ヒルズに移転してからは土曜日も開室しています。
(令和の一時期も土曜開室でしたが)。
展示スペース
以前は外交資料室本館に少しだけ展示、別館の方にその10倍くらい展示という構成でしたが、麻布台ヒルズでの展示スペースは大きな展示室とその奥の企画展示室という構成です。
大きなガラスケースとカラフルで読みやすいパネル、詳しいキャプション付きの展示物。
格段に分かりやすくなっていますが、展示数はむしろ控えめかもれません。
以前は警備員のおじさんが巡回するくらいでしたが、今はスタッフが常駐しています
(写真奥のカウンターがインフォメです)
今は杉原千畝や吉田茂の関係史料などが展示されていますが、今後は様々な企画展示が開催されると思います。
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展示されている外交史料
それでは展示されている外交史料の一部を紹介します。史料は幕末から令和まで。各時代で重要な資料が厳選されて並んでいます。
とにかく中学校の歴史の授業で学んだような史料(の複製)がばんばん展示されているので、歴史に興味がない人でも十分楽しめます。
ペリー来航後の条約ですね。
なお用紙がきれいなのは複製物だからです。
で、これを結んだことでタウンゼント・ハリスは麻布十番の善福寺にアメリカ公使館を設置するわけです。
▲これは日露和親条約。
いわば今に続く北方領土問題の原点を含む条約です。
▲日露戦争集結のために当時の帝政ロシアと交わした講和条約(ポーツマス条約)。
プーチンがこれを思い出してプンプンしていそうですが。
歴史上は日露戦争に先立ちって日英同盟というのものがあり、以前はその協約書も展示されていたのですが、麻布台ヒルズに移転後は展示されていませんでした。
そろそろきな臭い時代です。日英同盟の文書はなんか事務的な契約書という感じですが、この文書はやけに権威主義的な感じで、つまりそういう国同士によるそういう同盟なんですね。
注目したいのは日付。年号が西暦、和暦と ”ファシスト暦” で表記されています。ファシスト暦というのはローマ進軍(実質的なクーデーター)でムッソリーニが首相を下命された日が1日目というとんでもなく変則的な紀年法です。
アメリカの戦艦ミズーリ上で当時の外務大臣 重光葵がサインしたあの文書ですね。
ミズーリはこうした歴史の目撃現場になったりエイリアンをやっつけたり。なかなか話題の多い戦艦です。
そしてその後のサンフランシスコ講話条約とか日米安保条約とか日本の現代史を形作る条約が展示されています。
これは江戸幕府が発行した旅券。当然ですが顔写真はなく、その代わりに ”丸顔で痘痕あり”、”背は高い”、”目は小さい” ”両腕に刺青あり”とか身体的特徴が書かれています。たしかに、これだけ特徴があれば簡単に人定できそうです。
天長節(天皇誕生日。明治天皇なので11月3日)の晩餐会でダンスバンドが演奏したセットリスト(左)と ”女性がダンスの相手を記したメモ帳”(右)です。
やはり気になるのはメモ帳ですね。お互いの携帯電話の番号を交換しましたとかそういう用途ではなく、絶対これは外交上の情報戦の用途ですね。中を読んでみたいものです。
ダンスしながら知った”A国の一等書記官は借金がある” みたいな極秘情報も書かれていると思いますよ。
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企画展示室
大きな展示室室の奥にはそれよりぐっと狭い企画展示室。
▲移転当初は吉田茂の史料、杉原千畝の史料、条約締結プロセスの解説史料などが展示されていました。
杉原千畝関連史料
2000年に生誕100年を迎え、外務省からも正式に謝罪と名誉回復された杉原千畝氏の関連史料もかなり揃っています。
▲リトアニアのカナリス領事館でナチスから逃れるユダヤ系避難民に日本通過ビザを発給し続けた外交官として今はとても有名です。
別館で展示されていたころはかなりの量の史料が展示されていることもありましたが、今はヴィザ・リストや本国への報告公電などが展示されています。
吉田茂 関連史料
外交史料館の別館(本館とは飯倉公館を挟んで反対の六本木寄りにある)はもともと吉田茂の関連財団からの寄付で建設されたもので、吉田茂元首相の遺品や関連資料が収蔵・展示されていました。
別館には「吉田茂 記念資料特別展示場」も併設されていたので、それも麻布台ヒルズにも移転してきたと考えて良さそうです。
▲そんな吉田茂関連の史料の一部が企画展示室で展示されています。
吉田茂というとステッキを持つ写真がよく見ますが、この写真右端のステッキは昭和天皇から下賜されたもの。他にも煙草入れなど身の回り品が展示されています。
ちなみに外交史料館別館に設置されていた吉田茂の胸像はこちらでは展示されていません。
見学時間と混雑状況
以前は外交史料館の本館と別館に別れて展示されていた頃よりもたぶん展示品数は減っていると思います。
ただ史料を見て回るだけなら5分でOK。ただその中身を読み込んでいったり、企画展示(今回は条約締結プロセス)もじっくり見ていると30分くらいは必要になると思います。なにせ本物の一次史料(の複製)が並んでいるのですからね。
ちなみに外交史料館はこれまで数回訪問しているのですが、結局他の見学者を見かけたことはありませんでした。
ところが、麻布台ヒルズに移転し開室した直後の平日に訪問したところ、常に見学者が数人いる状態でした。
物理的には外苑東通り沿いの路面から、隣の麻布台ヒルズ森JPタワーの5階に移動しただけなのに、すごい違いです。やはり麻布台ヒルズの集客力恐るべし。
週末などはそこそこ混雑するのではないでしょうか。麻布台ヒルズの隠れスポットしても話題になりそうです。
外交史料館 展示室の場所とアクセス
新しい「外務省外交史料館 展示室」の場所は麻布台ヒルズ森JPタワーの5階です。
2023年11月に開業した麻布台ヒルズの、暫定的に日本一高い森JPタワーなので、そこまではまず迷うことはありません。
ただ地下鉄の神谷町駅から直結ですが森JPタワーまでは麻布台ヒルズの中を数分歩かないといけません。
▲森JPタワーの5階で慶應義塾大学の予防医療センターと同じフロアになります。
そして5階へ上がるには、タワープラザ(TOWER PLAZA)南側のエスカレーター、またはエレベーターPを使います。
商業エリアのエスカレーターやエレベーターからはたどり着けないので注意です。
▲神谷町駅側からアクセスした場合はこの森JPタワーB1のオフィス受付の奥、エスカレーターの右手奥にあるエレベーターPで5階へ上がれば外交史料館展示室です。
▲六本木や東麻布など外苑東通り側からの場合は1階の車寄せのところの入口から入ってすぐ左手のエレベーターPで上がります。いちばん近くて分かりやすいですね。
展示室の解説パネルや展示品より大量の史料写真、文章。日本の近現代史を概説する格好の読み物ですから、これは遠慮なく頂いておきましょう。
平日はもちろん開館ですが土曜日も開館していますから以前より格段に訪問しやすくなりました。あんなに見学者がいたのは初めてなので麻布台ヒルズへの移転は大成功ではないでしょうか。
歴史好き、史料好きな方はもちろん、そうでない人でも楽しめる穴場スポットです。
外務省 外交史料館 基本情報
名称 | 外務省 外交史料館 展示室 |
住所 | 港区麻布台 1-3-1 麻布台ヒルズ森JPタワー5階 |
最寄駅 | 神谷町駅、六本木駅、六本木一丁目駅 |
休室日 | 日曜日、祝日、年末年始 |
時間 | 10:00 – 17:30 (入室は17時まで) |